#2 「長いトンネルの時代」

 

st companyの変革期、成長期

前回の時もお話しましたが、会社が軌道に乗り始め多店舗展開を始めた時期(1990年代前半)にお付き合いのあった、小川修平の率いるファッションブランド「1%」、「COMPOSITION」の片山さん、「2OR+ BY YAT」などとは一時代を共にし、良い思い出となります。

 

その頃のst companyは「セレクト業態」と「オンリーショップ業態」のミックスをしていました。

 

路面店ではst company独自のセレクトの展開(インポートブランド含む)、施設内ではブランドのオンリーショップの展開(VIVAYOU、AS KNOW AS、ATELIER MEIKUなど)を広げていきました。

 


当時、高崎サティーの1F(現OPA高崎)では地方初の「TSUMORI CHISATO」のオンリーショップ、路面店舗ANTENNE DEUXのB1Fフロアでは「ZUCCa」のオンリーショップも展開し、話題になりました。

 


ピーク時、st companyは桐生市、前橋市、高崎市、足利市(栃木県)で合計17店舗の展開、社員総人数70人以上の規模感で、株式の店頭公開も考えていた頃です。

 

1998年の3月に3フロア展開のお店「post in time」を前橋市の町中にオープンしました。

 

 

1998年の3月、前橋市にオープンした路面店「post in time」

 

 

レディースが9割を占めるブランド構成から今までにはないメンズ主体のセレクトショップとして始動し、この後のst companyの変革期、成長期と捉えて前へ前へと突き進んでいました。

 

 

理念なき経営は成り立たない

しかし、この目論見は誤り、翌年1999年、翌々年2000年の2年間で累計赤字1億9000万円という最悪の結果となりました。

 

この状況では普通は、間違いなく倒産です。

 

ですがそんな状況下で多くの方が手を差し伸べてくれました。

 

どん底の時に手を差し伸べてくれた方々がいたからこそ今のst companyがあります。

 

その中には、今では大手アパレルの役員の方もいて、全面的にバックアップして頂き支えてくれた事は本当に感謝していますし、自分の大きな分岐点ともなりました。

 

その当時は、何でも想い通りになると思い、完全に驕っていましたね。

 

全てが勘違い、思い違い。
全てが幻で終わりました。

 

その後、色々な人の支えがあったからこそst companyが存続していることを再認識し、経営理念を作りました。

 

 

感謝  絆  真心  奉仕

素直  情熱  無我夢中

 

 

これが、st company の経営理念です。

理念なき経営は成り立ちません。

 

 

 

ファッションと人が好きだから乗り越えられた

それから、7、8年「長いトンネルの時代」の到来です。
当時は、自家用車なども処分して本当にすっからかんになりましたよ。

 

信頼している取引先からも「社長がやる気があれば大丈夫です!!」と応援され、 

 

私は、絶対に諦めませんでした。

 

 

2001年以降、そこからは店舗のスクラップ&ビルドを続けていきます。

 

その長いトンネルの時代では、過去の経験を生かし、動き方が慎重になりました。

 

とにかくマイナスに考えるのではなく、慎重に動きつつ、挑戦をしていく姿勢を心がけ、

良くも悪くも常にリセットをして次のことを考え行動に移す。


そして、絶対に夢を諦めませんでした。

 

 

本当にファッションと人が好きだから乗り越えられたんですよね。

 

 

その後、2008年のリーマンショック、2011年の東日本大震災もありました。

 

2011年にはst companyの新たな試みとして、桐生店の1区画を改装しcaféをオープンしました。

 

試行錯誤し、やっとの思いで完成したcaféのレセプションオープンは2011年3月11日で、忘れもしない記憶に残

る日となります。

 

東日本大震災の時は、計画停電、交通機関の麻痺、ガソリン不足などあり約3ヶ月間は経営的にも厳しかった状況でしたが、「長いトンネル」を抜けた経験があったからこそその状況にも動じませんでしたね。

 

各ブランドさんとのst独自のイベントの開催、コミュニティーの場所としてcaféを作ったり、店先で地域のマルシェ(スマイルマーケット)を開催したり、試行錯誤して運営している中、このままでは洋服屋の未来が見えない、と限界を感じていました。

 

 

 

一番にならなかったらダメ

新しい洋服屋のあり方を考え直していて、駐車場を構えた郊外店舗への移転を構想していました。


そんな時、知り合いから

 

「環さん、街中で面白い物件がありますよ!」

 

と連絡がありました。

 

 

郊外店舗を構想していたので、初めは「街中だから微妙だな〜、、、」と思っていましたが早速不動産屋さんに仲介してもらい、物件を見に行くことにしました。

 

そこには、荒れ果てた元和菓子屋の廃墟が存在していました。

 

10年近く触れられていなかったであろう軋むシャッターを開け、1階から1部屋1部屋を見て回り、そして2階、3階、屋上へと足を運び全ての空間を見ていくうちに、今まで見たことのない立体的な迷路のような建物の面白さに魅了されていきました。

 

 

2016年初めて見た時の物件の写真。1Fから3Fの荒れ果てた様子。

 

 

その時、この建物と自分との相性を感じ、「自分がやるのはここしかない!」と直感が働きました。

 

そして「この建物をデザインするのは、彼しかいない」と確信し丁度その頃縁のあったdessence山本和豊さんに

すぐに電話し、桐生まで視察に来てもらいました。

 


振り返ると、洋服屋の限界を感じていた時期に「NEWLAND」(注1)を見たのは大きなきっかけでした。

 

店舗運営の方向性や、何か新しい未来へのヒントを感じたのでしょう。

 

その「NEWLAND」を計画、設計したのが、dessenceの山本和豊さんでした。

 

 

埼玉県熊谷市の「NEWLAND」

 

(注1)
NEWLANDは東日本大震災の翌年、2012年に埼玉県熊谷市にオープン。
かつて大型クレーンの教習所として使われていた敷地や建物をリノベーションして生まれた複合商業施設。
敷地内の建物は、洋服、生活雑貨、caféなど多彩なショップが入る「SHOP」、ワークショップのための教室と宿泊設備を備えた「SCHOOL」、ギャラリー、インテリアショップ、設計事務所の入る「HOUSE」の3棟で構成され、さらに敷地内には、種々の実をつける木々が植わる「edible garden」が四季を彩る。

2021年リニューアル予定。

 


服屋が洋服好きの仲間を増やす、新しい洋服屋のビジネスの方法。

 

志を高く持って新店舗を作ろう!

 

一番にならなかったらダメだと思っていました。

 

井の中の蛙ですが、「田舎で日本一」。

 

洋服屋の未来を作る。

 

 

 

#3 「これからの未来」に続く

 

 

st company 代表・環敏夫が語る
「ルーツ」から「これからの未来」
#1 「st companyのルーツ」
#2 「長いトンネルの時代」
#3 「これからの未来」